知識思考ノート

気に入った知識や思考を書いてます

冬の木

 

 冷え込んでくる時期に

考えねばならないのは、

寒さが美しいものであることだ。

 

 騒がしい夏は終わり、

誰もが真剣にならざるを得ない

季節に、この鋭い冷えは

覚醒を求めている。

 

 

 人は冬眠しない。

寒さを感じ、鋭い思想の

覚醒をする。

 

 眠ってはいけない、

心地よく眠るために

 

 

 木は植物の思想である。

茎と葉だけの植物は冬には

姿を隠す。

 

 木は、冬に葉だけ落として

平然と生きる強靭な意志を

示している。

 

 太陽が陰り、気温が低くなっても

生命の存続に支障がないと

気づいたから

 

 死んだように生きている

冬の樹木は、冷たさが覚醒させる、

知恵による生存である

 

 

 

物自体という幻想

 

 哲学用語に、物自体

というものがある。


 人間は自分の脳によって

世界を見ている。目で見ていると思っているものは

物自体ではなく、その人の視覚であるという

考え方だ。

 

 では、実際の世界がどうなって

いるかだが、これは考え方が

根本から間違っている。


 猫は色が見えないらしい。

それが猫の実際世界であり、

色のついた視覚が現実という

ものでもない。


 哲学者が物自体を追求

しようとしたのは、好奇心から

である。

 

 見えないものを、理解しようと

する目的から、知覚と物自体を

分けた。


 では、物自体とは何かと

いう答えは、出たのかというと

出るはずもない。


 物自体の正式名称は

人間が知覚できないものへの

好奇心である。

 

 このような、正式名称から

言葉が著しくずれるのは

ありきたりでありながら

たいへん厄介事だ。


 例えば、自己責任という

言葉は他人に対して責任を

負うよう求めているようでもあり、

一方、自分から告白する人がいれば

なかなか厄介である。


 誰が何の責任を負い、

何をするのかは語られない。

物自体以前に、言葉の意味が

不明瞭なのがいつものことだ。

 

 物体と言葉とその意味のつながりは

いつも解体されては再構成される。


 しかし、解体されるのは

それら理解の仕方、意味のつながり

であり、事実は何も変わらない。


 世界がどうであろうが、

責任が誰にあろうが、やるべきことを

やることに何ら変わりがない。

 

 言葉の意味に戸惑える

社会は、それだけ精神の自由を

獲得したといえる。


 責任や、物質的事実が

はっきりしないというのは

フリーダムな重荷を皆が

負うことになる。


 どんな言葉よりも、

動かぬ証拠に安息がある。


 豊かな人生は、食べて寝て、

与えられた仕事をするだけだ。

食べて寝るのを怠る人は

見たことがあるが、仕事を

していない人は見た事がない。

 

 

幸福の論理

 論理には限界がある

理は道筋を示すことしかできない


 自動運転のAIでも、

もう論理だけには頼っていないようだ

 

 

 車道がどうなっているかの

現状だけではなく、車道に人が

いる状況などもシミュレート

して認識しているそうな


 人間が単なる論理の集合では

ないのは、このシミュレート機能を

すでに持っていて、それが

感情ともつながっているから

 

 

 想像力と呼ばれているものが、

AIがこれから手に入れる

認識能力なのだろう


 人間の場合、なにを想像しても

研究の対象となる事はない


 本人の頭の中だけの

想像に誰も文句をつけられない

想像を想像することはできるが、

それは誰の考えなのか。

 


 幸福になるための論理は、

極めて単純である


 論理そのものを幸福に

仕上げること、想像力を

現実と希望のために使うこと


 つらい感情も一過性のもので

あると思い出すこと

 

 

 自信を持とうが持たなかろうが、

想像力を操れるのは自分だけなのを

否定しようがない


 説教や励ましが

逆効果になる理由がここにある

 

 

 では、何を想像しろと

言うのか。幸せになるために

出来ることは何なのか。


 それは、分からないのだ。

自由は分からない。

想像の世界で地獄を味わうのも、

自分に手を差し伸べるのも自由である

 


 貧乏でも楽しそうな人、

お金があっても悩みの尽きない人、

明確な危険がなくても悩んでいる人、

その深遠な論理が明かされる事はない。

 

 自由のもとで、

好きなように論理を組み直している


 強靭な精神が何度も繰り返す、

夢の創造には限界がない


 世間に承認された論理だけが

論理的と呼ばれる。

事実は誰が見ても分かるものを言う

 

 

 想像の世界が

不幸になっている人は

どう見ても不幸である


 承認も否認もできぬ

可能性の考慮に、はじめから

論理性はない。

 

 

 明日は良い日だと告げる

だけで十分なのだ

 

 論理的に考えたら、

幸せな明日はずっと変わらないから

 

 

(物語)最初の衝動

 

 

 生まれて最初に覚える

感情を知っている。


 おじいちゃんが言うには、

それは「天地の間を下る風圧」

だ、そうです。


 小さい頃は、なにそれって

思っていました。

 

 

 おじいちゃんは亡くなる時に、

同じ事をまた言ったのです。


 「これだよ、天地を下る風圧を

感じる。俺は死ぬんだ。生まれてきた時と

おなじ予兆を感じる。」

 


 私はなんだか、可笑しいと

思って「それは、天に上る風圧じゃないの」

と冗談を言った。


 「確かに、それでも

あの道を通るのだから同じなんだ。

それと、お前に言っておきたい事が

ある」

 

 「なに?」


 「天地の通路は、普通に生きている

時にでも通ることがあるんだよ」

 

 

 「臨死体験みたいなこと?」


 「ちがう、でもどうやって通るかだけ

教えておきたいんだ。」

 

 「一応、聞いとく」


 「その方法はね、、、」


その言葉が続かぬまま、おじいちゃんは

息を引き取った。

 


 そういえば、以前に理屈を

並べて「天地の通路」を説明していた

ことがあった。


 人は生まれも死にもしない。

私は風であって、異界からこの世界へ

喜びを吹かしに来たのだとか

なんとか。

 

 それはともかく、私は

今シングルマザーになってしまった。

旦那と別れて、仕事もやめてしまった。


 心の支えだったおじいちゃんが

死んでしまって、何も信じられなく

なった。

 

 「天地の間を通る風圧、、、

なんだそりゃ」


 そんな事より、圧力を感じる。

一人で子どもを育てていけるだろうか。

仕事はどうしたらいいだろう。


 本当に、どうしたらいいんだろう。

正直いうと、もうその天地の通路と

やらを通っていなくなってしまいたい

衝動に駆られた。

 

 生まれてきた時は喜びだった

子どもも、今では泣いてばかりの

居候のようで耐えられない。


 「おじいちゃん、どうしたら

その風圧を感じられる?

死んでしまえばいいってこと?」

 

 生まれてきた時と同じ感情、

それなら私はきっと泣いていただろう。


 そうして、子どもが泣いている

横で私も泣きわめきました。

 生まれてきた時と同じように、

訳も分からず泣き続けていた。

 

 ちょっとしたトランス状態に

なっていた気がします。

なぜ泣いているのか、自分でも

分からなかったけれど、とても

温かい気持ちに包まれたのです。


 声が聞こえました。

「大丈夫だよ」

ついには、頭がおかしくなって

しまったかと思った。


 私の足に、誰かの手が触れた。

「大丈夫だよ」

もう私は天地の通路を通る、

そんな予兆がしました。

悲しくも、幸せな気持ちでした。

 

 それから気を失い、

目が覚める。子どもが私の頬を

叩いて起した。


 「またあんたか、泣くのはやめたの?」

 「ダイジョウブダヨ」


 子どもが始めて話した言葉は

それでした。おじいちゃんがいつも

私に言っていたこと、私がいつも

この子に呟いていたこと。

 

 「あんた、おじいちゃんみたいだね。

なんか乗り移ったの?」


 子どもはご飯をむしゃむしゃと

ほお張るだけ、そしてニコニコ笑っている。


 「一緒に、天地の通路を通っていこうか、

まるで風が吹いているよう」

 

 

 おじいちゃんの仕事は、トイレや

水道管の修理をすることでした。


 「トイレがなんで流れるか

教えてやる、あれはね、くそと

水の圧力で流れるんだ。

 地震があると、トイレが使え

なくなるが、水をたくさん入れると

流れる。重たいくそでもいいがね」


 「トイレの流れと、天地の通路は同じだ。

俺は水か?くそか?そんなのはどうでもいい。

大事なのはたまらずに流れ続ける通路、

お前ならいつか分かる、この水とくその

圧力の真価が」

 

 子どものおしめを取り替えて、

トイレに流す、お金はきっと

なんとかなる。


 私は風ではない、

たぶん水。どこにでも流れていく、

トイレでも大きな海にも

どこにでも染み渡る。

 


 大丈夫だよ、おじいちゃんの

最後の言葉は風や水と同じように

目に見えなかったのだから

もう見えるものを信じない。

 

 私が見るのは、天と地の

あいだに通る水圧だけ。


 圧力を感じる。知っている。

生まれてきた時のあの日と同じ感情、

何も知らなかった頃の

言葉のない最初の泣き声

 

交渉力とスパム的会話

 

○しつこさは交渉力ではない


 このあいだ、しつこい勧誘の
電話があり話し方もどうかしていた
ので、スパムと交渉の違いについて
説明してみたくなりました。

 

 スパムは、内容が変なものでも
大量に送るから、どれかが当たる
というものです。

 

 しつこいスパムは、方法自体が
かなりどうかしているので
誰も得しないです。

 

 

○スパム的な会話について


 なにをもってスパム的と
判断するかですが、損得やお互いの
事情よりも「量」によって
押すのがスパムがスパムたる所以
です。

 

 広い範囲に訳の分からない話を
すれば、誰か信じる人もいるもの
でありますが、小さい範囲に
大量の訳の分からない話をするのを
スパム的会話と勝手に名づけます。

 

 要点や損得は結局わからず、
とにかく量で押す話し方には
交渉力はありません。


 交渉力は、背後にある
損得や気持ちが伝わるから
成り立つもので、しつこさは
会話自体がスパムになる。

 

○スパムの特徴(交渉力との違い)


 ①発信元や根拠が不明瞭

   どこの誰が、何を目的で
  話をしているかがとても
  重要なのですが、スパムは
  ここからまず分からない。

 

 ②要点が不明

   どういう得があって、
  どういう損があるか、
  いつまでも分からない。

 

 ③はっきりは言わない

   話術や強引な態度で
  押しているだけの場合、
  はっきりした事を言うと
  終わりになっちゃう。

 

 ④話を聞かない

   交渉は、お互いが話し合って
  妥協点をみつけて終わります。
  スパムは妥協点でなく、結論が
  すでにあるので会話にならない。

 

 ⑤感情に訴えすぎ

   交渉でも、ブラフや言い換えに
  よって心情を操作するのは多少
  あると思いますが、感情ばかりが
  先行して冷静でないものは
  嘘か、どうかしているだけです。

 

○スパム的会話の意味のなさ


 しつこく話をすれば、
勢いでもってかれる人もいますが
スパムメールが誰かしらには
当たるのと同じで、意味があんまり
ないです。

 損得や気持ちはすでにないがしろに
なり、ただスパムとして押し切った
に過ぎないです。

 

 本当に権力がある場合とかは
別ですが、会話で押し切っただけを
あんまり権力と言いません。

 

 意味がよく分からないから、
そこに意味があると思った人にだけ
効果があるのがスパムですね

 

○交渉力の付け方と、スパムの対処法


 相手を対等に見ること、
要点をおさえて根拠を持つこと。


 交渉しても、根拠がなかったり
対等に話をする気がないのであれば
意味はないのです。


 対等に話をしたうえで、
相手の方が有利だったり、
相手に用がないのであれば
ただそれまで。

 

 

 なんとなく魅力的というのは
意味のあるものですが、それなら普通に
交渉したらいいので、スパムはスパムな訳です。


 人間でも生活でも、普通にしていて
魅力的なのが安定した状態なので、
スパム的な会話はそれ自体が
どうかしているのです。

 

 

明るく暮らす方法について

 

○明るく生きるのは難しいのか?

 

 明るく生きれればいいですが、

これが難しいって場合もあります。

 

 詳しく考察して、解決方法まで

説明してみます。

 

 

○根本から理解してみる

 

 明るい、暗いという表現は

その人の性格や方向性を

光に例えている。

 

 もともとは、太陽の

エネルギー(生命力)への

好意的な想いから来ている

のではないでしょうか。

(この説明はまた別の機会に)

 

 

 それで、明るいというのは

正確に表現すると、

元気がある、楽しいこと、

成功する方向へ向かっている

って意味です。

 

 逆に、暗いというのは

悲しいことや、失敗への

方向性がある状態です。

 

 

○注意の対象の問題

 

 明るい、暗いが問題となるのは、

注意の方向性がかたまって

しまうからであります。

 

 病的に暗い人も実際に

いる訳ですが、そうなると

空想や日常生活までも

悲しい事に注意が行き続ける。

 

 これが習慣になると、

いわゆる暗い性格と言える

でしょう。

 

 

 単に物静かな人を

暗いと言ったりもしますが、

そこはケースバイケースです。

 

 暗そうにみえても、

物事をちゃんと見極めて

進もうとしている場合は

明るいです。

 

 

○ポジティブが良いという訳ではない

 

 結果を出すのが大事です。

平穏な生活、目標を達成する、

危険を回避する。

 

 特に、危険を回避するには

ネガティブな方が適している。

ここで、無理にポジティブを

志すのは勇気があると思いますが

本当に明るいとは言えない。

 

 失敗や悲しいことを無視して

まで、ポジティブになるのは

暗い現実へ過剰な戦いを挑んでいる

のであります。

 

 

 生活には、朝も夜もある。

暗いところで明るく過ごすには、

たしかな現実を知っていて

出来ることであります。

 

 暗い夜の方が危険は

大きいですが、安全な道を

選んで歩けばいいのです。

 

 

 夜中に気分が沈んでも、

部屋に鍵がかかっていれば

外からの危険はない。

 

 こういった、明るい理解を

する必要がある。

 

 

○注意が暗い方向へ行くデメリット

 

 ポジティブもネガティブも

状況しだいであります。

 

 物事をしっかり理解するには、

自分の気分や衝動を制御する

作用が用いられ、これが元気を

奪ってしまうことがある。

 

 

 そこで、明るい理解の仕方を

覚えるといいのです。

 

 感情でなく、頭で意識的に

明るい方向へ思考のルートを

変更する。

 

 

 悲しい想いや、失敗を

考えるといくらでも続きます。

人間は頭がいいので

想像力がすさまじい。

 

 これが暗い方向へ行き続けるのは

知能の無駄づかいであります。

 

 想像という自由な世界では、

暗いことはほどほどにした方が

いいでしょう。

 

 

 もっといいのは、確かな事実を

考えることです。

 現実は現実であって、

明るくも暗くもないので、

事実だけ冷静に考えればいい。

 

 そこから、役に立つような

思考ルートをたどる。

 

 

○思考ルートの変更方法

 

 

 そうはいっても、悲しいことも

現実に存在するから考えて

しまいがちになる。

 

 では、どうやって思考の

ルートを変更するか。

 

 

 ポイントは、作り出す行為

であります。

 

 現実を見るのは当たり前のことで、

その次にやることがある。

 

 現実を作り変えることですが、

これはそう難しいことではありません。

 

 

 食事や睡眠は、失い行く

肉体の力にまた活気を与える

訳ですが、これも現実に対する

生産活動なのは事実です。

 

 食べるのは当たり前でも、

その当たり前に多くの時間を

使って、肉体の現実を活気づける。

 

 

 思考や、生活にも同じことが

言えます。

 

 思考の栄養になる、正しい知識や

面白い動画をみる。

 

 生活が活気づく新しい物や

工夫を加えていく。

 

 

 思考ルートの変更は、

現実という、常にお腹をすかせる

生き物に新しい栄養を与える

行為になります。

 

 

○難しくないのに、出来ない現象

 

 すぐに明るい思考ができれば

誰も苦労しないのであります。

 

 なぜ、出来ない場合があるのかを

考察します。

 

 

 物事を明るく考えると、

暗いものへは注意がいかなくなる。

 

 それが、現実の無視のように

認識される。

 

 やっぱり、暗いことも現実に

あるといえばあるのです。

正確に言えば、誰にも分からない。

 

 

 分からないというのは脅威です。

脅威と感じるのですね。

 

 確率と効率を考えると、分からないもの

への耐性ができます。

 

 急に意味もなく悪いことが起きる

可能性は、非常に低く、考えるだけ

効率がわるい。

 

 

 明るく生きた方がいい、の

根拠はここにあります。

 

 思考は無限に続くので、

「明るく生きた方がいい」のです。

 

 悲しいことは悲しんで

当然であります。それでも、

頭の思考ルートは変えられる。

 

 

 悲しい感情があっても、

明るい方向へ向かう思考は

また脳の領域が違う。

 

 思考ルートや現実を

変えていくのに、少し時間が

かかるので、このタイムラグの間に

「出来ない」「出来ていない」の判断が

されやすい。

 

 実際のところ、現実はつねに

流転しております。

 小さい範囲なら、現実を

明るいものに変えるのはいつも

やっている事なのです。

 

 

 何を、どう変えたいのか。

その過程を記録するといいでしょう。

上手くいかないなら、目標が

的を外しています。

 

 出来ないなら、出来ないが

事実かも知れません。

 出来ることを目標にしたら

いいだけなのです。

 

 

○向上心や劣等感は関係ない

 

 仏教からの引用になりますが、

その教えでは「物の量や大きさより

形態が重要」だと言われています。

 

 生活に例えてみると、

色々なイベントを楽しむより、

安定して楽しめる趣味や

生活リズムを持つこととなるでしょう。

 

 

 向上心や劣等感は、量や大きさを

問題にしている場合がほとんどです。

 

 なぜかというと、向上心や劣等感は

プライド(自己の重要さ)に基づいており、

さらこのプライドは、他者との競争の

原理を含んでいるからです。

 

 

 人間がサルだった頃は、

権力が今よりずっと重要でした。

食べ物を確保し、子孫を残すための

序列を手に入れなくてはならなかった。

 

 それを担うのがプライドの

一つの作用・起源だと推察します。

 

 

 しかし、人間の場合

様々な方向へプライドが

作用するので、この感情は

それに合わせて加工されなくては

ならない。

 

 自分の目標、生活の安全に対して

だけプライドが働けば十分なので

あります。

 

 あくまで、自分の思考に

基づいているプライドは、

他人と比べても傷つきも増大も

しません。

 

 

 自分の生活が豊かになる

ために、世界情勢や社会のあり方、

他人の事はコントロールの範囲外

であります。

 

 そこまでコントロールする目標が

あるなら、かなり権力が必要。

 

 なんにせよ、適度な目標に

向かって、自分の照らせる範囲を

明るくするだけで十分な光なのです。

 

 

 生命は燃焼過程と言われて

おりますが、それが発するものは

光に他なりません。

 

 状況に関わらず、燃焼の

エネルギー自体はいつも

生産している。

 

 あとは、方向性であります。

自分にとって役に立つ思考は、

それ自体が光線としてのエネルギーを持つ。

 

 

 そうは考えない状態を、

暗い思考と呼んでいいでしょう。

 

 光は暗いところも照らす

ので、生きているなら

明るい人ではないでしょうか。

 

 人の争いや、トラブルは

光の色や方向性が合わなかった

だけだと思うのです。

 

 

 

「自分に正直」、の解釈の違い

 

 「自分に正直」

 

 これはたまに使われる言葉なのですが、

解釈の仕方には、人によってかなり

違いがあると気づきました。

 

 それで、それぞれの解釈と

その効果を考察してみたい。

 

 

①自分の感情に正直

 

 自制心が強い人には

この解釈がいいと思うのです。

 これを自分から

発言するようになるとわがままの

領域に入ってくるかも知れませんが。

 

②自分の考えに正直

 

 自分の判断を重視する場面なら、

考えに忠実でよし。

 これをずっとやっていると、

思想家スタイルで変なトコ

いっちゃいそう。

 哲学者はだいたい変わり者です。

 

③損得に正直

 

 自分の利益を考えろと

解釈したらこうなるのですが、

商売の思考を自分に正直とは

あまり言わない。

 好き嫌いがないがしろに

なってしまいがち。でも頭を使うので

後悔がないならいいのかも。

 

④自己イメージや立場に正直

 

 イメージに正直っていうのは、

想像に依存しているので

わりと危うい。

 立場に正直なのは

世渡りなので、、、どうなんでしょう。

 

 

 

 ちょっと考察してみたものの、

言いたいことは、自分って何って

話なのです。

 

 自分に正直、誠実という

響きは美しいのですが

それ以前に、自己へのとらわれ

みたいな違和感を覚える。

 

 無我夢中との言葉がありますが、

そんな必死の状態こそ本当に

自分らしいのではないか。

 

 

 嘘でも正直でもいいから、

好きなように生きたらいいと

思うのです。

 

 人生に嘘は吐けない。

そんな気がいたします。