知識思考ノート

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物自体という幻想

 

 哲学用語に、物自体

というものがある。


 人間は自分の脳によって

世界を見ている。目で見ていると思っているものは

物自体ではなく、その人の視覚であるという

考え方だ。

 

 では、実際の世界がどうなって

いるかだが、これは考え方が

根本から間違っている。


 猫は色が見えないらしい。

それが猫の実際世界であり、

色のついた視覚が現実という

ものでもない。


 哲学者が物自体を追求

しようとしたのは、好奇心から

である。

 

 見えないものを、理解しようと

する目的から、知覚と物自体を

分けた。


 では、物自体とは何かと

いう答えは、出たのかというと

出るはずもない。


 物自体の正式名称は

人間が知覚できないものへの

好奇心である。

 

 このような、正式名称から

言葉が著しくずれるのは

ありきたりでありながら

たいへん厄介事だ。


 例えば、自己責任という

言葉は他人に対して責任を

負うよう求めているようでもあり、

一方、自分から告白する人がいれば

なかなか厄介である。


 誰が何の責任を負い、

何をするのかは語られない。

物自体以前に、言葉の意味が

不明瞭なのがいつものことだ。

 

 物体と言葉とその意味のつながりは

いつも解体されては再構成される。


 しかし、解体されるのは

それら理解の仕方、意味のつながり

であり、事実は何も変わらない。


 世界がどうであろうが、

責任が誰にあろうが、やるべきことを

やることに何ら変わりがない。

 

 言葉の意味に戸惑える

社会は、それだけ精神の自由を

獲得したといえる。


 責任や、物質的事実が

はっきりしないというのは

フリーダムな重荷を皆が

負うことになる。


 どんな言葉よりも、

動かぬ証拠に安息がある。


 豊かな人生は、食べて寝て、

与えられた仕事をするだけだ。

食べて寝るのを怠る人は

見たことがあるが、仕事を

していない人は見た事がない。