知識思考ノート

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とんでもない馬鹿への昔からの対処法

 

 世の中いろんな人がいる。

いくら綺麗ごとを言っても、嘘をつく人や

みんなが損をする行動を続ける人は

実際にいる。

 

 こういった人間界の厳しい現実に

対して、昔からの有益な答えがあり、

本当の問題は馬鹿な人ではなく

馬鹿な人への対処法を忘れることである。

 

 

 宗教やことわざのなかに答えがある。

「人のふりみて我がふり直せ」とか

「すべては仏の教え」とか「神の試練」とか

これらは何も、神や仏に従う事を要求している

のではない。

 

 その言わんとする事は、相手が馬鹿だと

思うなら、同じことをしてはならないと

当たり前のことを権威付けて言っているだけだ。

 

 

 仏様辞典みたいな本があって、

それを覗いてみると、書かれていたのは

おかしな人間の姿そのものだった。

 

 嘘ばかりつくことで真実を教える仏、

いつも怒ってばかりの仏、知恵はあるが

厳しく冷たい仏。

 

 人間はそれら仏から、教えを頂いている

という考え方なのである。

 

 

 本当に頭がどうかしているとしか

思えない、ある意味で強い人を相手にした事が

ある人にはこの考え方が救いとなるはずだ。

 

 人間として道をちょっぴり外れている、

そういった仏街道を散歩してしまっている者から、

教えを引き出すことが出来れば、賢者の思考なのだ。

 

 

 もっとも、これは簡単なことではない。

多くの人が堕天使や生き仏につられて

道を誤る。

 

 暴力や、変な薬にとりつかれている

人間はその典型で、自分が今まで受けてきた

良からぬ教えをそのまま受け入れてしまっている。

 

 

 間違っていると分かっているからこそ、

理屈は通らず、感情は間違いを正そうとすら

意図しないのである。

 

 だって、間違いを教えられた人間は

まるで惨めそのものだと感じざるを得ない。

この事実を直視するのは極めて辛い思考である。

 

 だが、惨めなのは間違いを教えられた事ではない。

間違いを行うことである。

 

 

 馬鹿を見たら、真似をしてはいけない。

自分が馬鹿なら、昨日の自分の真似をしてはいけない。

 

 なにをもって、人を馬鹿だと判断するか、

これは個人の問題であり、馬鹿だと思うなら馬鹿で

いいのだ。

 

 相手を馬鹿だと思うくらいだから、

知恵の多寡よりも、まず嫌いであろう。

 

 

 優れた著作を残した哲学者たちは、

最後に同じことを言っている。

 

 愛が最も役に立つもので、

それが人を救うという、実に当たり前の

理屈にたどりつくのである。

 

 当たり前のことをどんな言葉で

人に伝えるかが、哲学者や思想家の本当の

使命であり、回りくどい仕事なのだ

 

 

 頭で考えたとき、馬鹿な人や、果ては

この世界自体に怒りすら覚えるように

なるだろう。

 

 それを頭で修正すると、「すべては試練、教え」と

なる訳である。

 

 もっとも、愛があるなら

馬鹿かどうかは関係がない。

 

 

 愛や慈悲をもって人に接するか、

すべては学習すべき授業であると

思うのが賢い人の対処法なのだ。

 

 そもそも、あんまり賢いのも

よろしくない。何であれ、自分の生活に

役立てるという意思だけが支えとなろう。

 

 重要なのは、馬鹿な人ではもちろんないし、

自分が賢いかどうかでもない。

 幸せになろうという当たり前の

方向性が少しだけ人生をマシにする。

 

 

 成功者とか、幸せな人とは、

つまりは当たり前の道から外れずに

いたという、単純ながら最も賢い選択を

取り続けた普通の人なのだ。